毎日思う、、

毎日通勤しながら思うことがあります。
ちょっとだけ。

ほんのちょっとだけでいいから、
自分が「犠牲」になって「我慢」すれば、それは他人への「思いやり」になると思います。

「気づかい」とはちょっと違うと思っています。
「気づかい」は特定の相手があってこそじゃないかと。

たとえば、
自転車のひとがにちょっと周囲を見る「犠牲」で渋滞にならないように止まるとか。

たとえば、
歩行者の前を通らないようにスピードをゆるめる「犠牲」で、歩行者は安全に渡れるとか。

そんなことでいいんじゃないかと思います。

それだけ今の「自分しか考えない」勝手な「自由」のぎすぎすした雰囲気はやわらぐ
のではないかと思います。

日常生活や仕事や人間関係にもいえること。

相手への「思いやり」ってそういうことから始まるんじゃないかなと
思います。

少しずつ実践しているけどね。
もちろんストレスたまるけどね。
でもそれがあったから、昔の日本ってよかったんじゃないかと思います。

勝手なひとりごとね。
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